平安藤原をかた朗記 CLM

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    タグ:落合博満



    1 砂漠のマスカレード ★ :2021/01/02(土) 15:28:06.49

    1987年
    落合博満(ロッテ)⇔牛島和彦、平沼定晴、桑田茂、上川誠二(中日)
    中日 +257.0/ロッテ -274.4

    落合博満    中日    打率.298、268本塁打、905打点    276.1
    牛島和彦    ロッテ    20勝25敗49S、防御率3.49    19.1
    平沼定晴    ロッテ    17勝19敗5S、防御率4.44    -28.4
    桑田茂    ロッテ    0勝0敗0S、防御率6.35    -1.6
    上川誠二    ロッテ    打率.271、29本塁打、136打点    -1.9

     1986年、4位に終わったロッテは稲尾和久監督を解任し、後任に有藤通世を据える。これに対し。稲尾を信奉する主砲の落合は「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要はない」と反発した。打率.360、50本塁打、116打点で2年連続3度目の三冠王となったばかりの落合は、年俸が日本人選手初の1億円を超えることも確実視されていた。財政事情が厳しいロッテにとってこの巨額年俸は重荷であり、先の発言もあってトレードの動きが本格化した。
     
     移籍先には、以前から噂のあった巨人が有力視されていた。しかし、ロッテが交換相手として、当時の主軸である原辰徳、中畑清を要求したのに対し、巨人が提示したのは松本匡史や角三男だったために交渉は難航。ここで、中日の新監督に就任した星野仙一が、巨人に落合を渡すのを阻止するため、エースの小松辰雄すらも放出する構えで動き出す。リリーフの欲しいロッテは抑えの切り札だった牛島を指名し、これに正二塁手の上川、若手投手の桑田、平沼を合わせた4人で合意を見た。

     牛島は中日での7年間で4度の2ケタPVを記録し、通算では47.4だった。上川は入団2年目の83年以降、毎年規定打席に到達し、86年は打率.295でリーグ8位に入っているが、通算PVは-5.2とそれほど良くはなかった。平沼はトレードまでは3年間で1勝3敗、防御率5.90、PV-26.4と実績に乏しかったが、21歳と若く、今後の成長に期待しての獲得。桑田は4年間で80試合に登板して6勝12敗、PV-11.4を記録していた。
     

    <中日>セ・リーグでも打ちまくった落合
     中日で史上初の1億円プレーヤーとなった落合は、セ・リーグでも球界最高級の打者であり続けた。この頃の中日は、かつて首位打者も獲得した谷沢健一が86年限りで引退。中軸の大島康徳は35歳となり、強打の遊撃手・宇野勝も86年に打率.211、10本塁打の大不振に陥っていた。中軸を任せられる打者が欲しかったところに、落合というこれ以上ない存在が手に入ったのだ。

     87年は打率.331、28本塁打、85打点で無冠ながら、PV51.6はリーグ2位。88年は打率.293で、規定打席到達で初めて3割を下回ったものの、32本塁打、95打点でPV37.9は1位。特に終盤戦は決勝打を連発し、優勝に大きく貢献した。その後も89年に40本塁打、リーグ最多の116打点でPV57.2は2年連続トップ。91年も打率.340、37本塁打でPV57.6はまたしても1位、中日移籍後で最高の数字だった。94年にFAで巨人に移籍するまで、7年間の合計PVは276.1。トレードで移籍した選手では、真弓明信の248.0を上回る最高値となっている。
     
     
     
    https://news.yahoo.co.jp/articles/74327e9b00076bf4e721b93827db999374f409a2
    1/2(土) 15:10配信


    (出典 www.nikkansports.com)


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    (出典 Youtube)

    ロッテオリオンズ 上川誠二 ホームラン


    【【大検証】三冠王・落合の中日放出と引き換えに、投手力強化を目指したロッテの目論見は大失敗その3】の続きを読む



    (出典 dragons.jp)


    タツナミ!オチ!インネン!

    1 爆笑ゴリラ ★ :2021/11/14(日) 08:00:34.67

    11/14(日) 6:02配信
    SmartFLASH

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     2022年シーズンから、中日ドラゴンズの指揮をとることになった立浪和義新監督(52)。

     11月4日からおこなわれている秋季キャンプでは、早くも背番号「73」のユニフォーム姿を披露しており、中日ファンは “3代目ミスター・ドラゴンズ” の監督就任に歓喜の声をあげているという。

    「多くの中日ファンからしてみれば『なぜもっと早く監督にならなかったのか?』と思っているはず。じつは、過去にも立浪氏が次期監督の有力候補として浮上したことはありました」と話すのは、中日担当記者だ。

    「2013年オフのことです。2013年いっぱい監督を務めていたのは “2代目ミスター・ドラゴンズ” の高木守道氏(享年78)でしたが、4位に沈み退任。次期監督探しが始まったのです。

     そこで浮上したのが、立浪氏の就任と落合博満氏(67)の再任でした。じつは、このときに落合氏と立浪氏の間には因縁が生まれたんです」

     落合氏は高木氏が就任する前の2011年まで8年間、中日の監督を務め、リーグ優勝4回、日本一1回と黄金期を築いた。しかし、球団内の一部から『人気がイマイチ』という評価があり、2011年オフに退任となった。

     一方の立浪氏は、高木氏から “ミスター・ドラゴンズ” を継承したこともあり、リレー登板という期待があった。「しかし、結果は当時現役だった谷繁元信氏の選手兼任監督誕生で落ち着いたんです」と、前出の担当記者は話す。

    「まず、当時の白井文吾オーナーは落合氏の手腕を高く評価していました。そして、現役当時から立浪氏の女性問題や交友関係に顔をしかめていました。白井オーナーは『俺の目が黒いうちは立浪を監督にはしない』と言い切っていたそうです。

     そこに、対抗馬と目されていた落合氏からも『立浪監督はダメだ』と、白井オーナーに同調する反対意見が出た。

     落合氏は自身の監督就任時に星野仙一氏(享年70)の監督時代の “鉄拳制裁” の慣習を消そうとした。立浪氏は星野時代を象徴する選手でしたから、その点を気にしていたようです。結果として、谷繁氏の監督就任とともに、落合氏は中日球団のゼネラルマネージャーに就任しています」

     しかし、白井氏も2020年2月に「名誉オーナー」になり、チームの現場から離れた。“反対派” の力も弱まり、立浪新監督が誕生したということだ。

     立浪氏が監督に就任したいま、落合氏はなにを思うか――。

     11月某日、因縁の真相も尋ねるべく、東京都内にある落合氏の自宅に向かった。すると、1台のハイヤーが到着し、それを待っていたのか自宅から落合氏が出てきた。玄関ドアから顔をのぞかせた落合氏は、こちらをジッと見つめた。

    ――すいません。立浪氏が中日の新監督になりましたが?
    「俺、取材には答えないよ」

     そうひと言だけつぶやいて、ハイヤーに乗り込んでしまった。

     前出の担当記者は落合氏に期待せざるを得ない部分があるという。

    「立浪氏は生え抜き22年、通算で2480安打を放った中日では “大物すぎるOB” です。中日としても “最後” に近いカードを切ったと感じます。もし今後、立浪氏が率いるチームが低調だったときなどに、ほかにビシっと言えるOBがいるのか……。そうなったとき、立浪氏に物申せるのは落合氏しかいないと思うんですよ」

     またも、登場するときは “嫌われ役” になってしまうのか。


    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/dbb1a8d2cd0a9083df1d48539c4c6ace67f642e9


    【【直撃!空振り(笑)】「立浪新政権」誕生!8年前に監督就任に猛反対した “因縁の” 落合博満を直撃】の続きを読む

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