平安藤原をかた朗記 CLM

マリーンズ高卒ドラ1カルテット マリーンズの平安藤原こと平沢大河選手 安田尚憲選手 藤原恭太選手 そして佐々木朗希選手の情報をまとめながら応援するブログです。マリーンズの情報もまとめております。

    カテゴリ: 社会情報



    (出典 sweetweb.jp)



    101 名無しさん@実況は禁止ですよ (ワッチョイW) :2022/08/22(月) 01:29:31.77ID:TqfQxvLT0
    ライナスの毛布

    【【文春砲!!!】 コレコレ 冒険だ!【YouTuber】】の続きを読む



    1 ユーは名無しネ :2022/11/04(金) 15:49:33.90
    9/26にアイランド退社とあるが9/29のトラジャデビューの取材には凱旋コンサートのプランを語っていたタッキー

    時系列おかしくない?

    芸能界もバシッとやめスキャンダルにも厳しく対応
    人一倍責任感の強い男がいきなりやめるだろうか


    タッキーアンチは出禁
    過激になりすぎないように


    あくまでも考察スレ

    【【文春砲ジャニー】タッキーはなぜやめたのか【時系列】】の続きを読む



    (出典 sportiva.shueisha.co.jp)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2021/02/18(木) 16:28:53.69 ID:CAP_USER9.net

    「オープン球話」連載第52回 第51回を読む>>

    【極端に細いバットを使っていた長嶋一茂】

    ――前回は長嶋一茂さんについて伺いましたが、今回もその続きをお願いしたいと思います。「一茂については、いろいろ話したいことがある」とおっしゃっていましたね。

    八重樫 前回も言ったけど、本当にポテンシャルが高い男だったんだけど、本人が本気で取り組まなかったのがもったいなかったね。

    ――立教大学時代には、東京六大学リーグで11本塁打を記録しています。打者としての才能はどうだったんですか?

    八重樫 打者としても並外れた才能がありましたよ。飛距離もすごかったし。でも、アイツは何も考えていないから、バット選びもいい加減だったんだよね。誰に聞いたのかわからないけど、「グリップの細いバットを使えば飛距離が出る」と言って、ものすごく細いグリップのバットを使っていたんです。でも、そういうバットはバットコントロールがすごく難しい。ノックバット程度の細さだったんだから。

    ――誰かから聞いた情報を、鵜呑みにしてしまったということですか?

    八重樫 そう。イチローのように芯に当てることがうまい選手なら、そういうバットでもいいと思うよ。でも、一茂の技術じゃ、あんな細いバットは使いこなせない。だから、なかなか芯に当たらないからフリーバッティングでも、何本もバットを折るんです。2、3球続けてバットを折って、そのたびにバットを取りに戻るから、なかなか順番が進まなかった。

    ――八重樫さんはその点を本人に指摘しなかったんですか?

    八重樫 もちろん本人にも言いました。「一茂、細いバットで遠心力を使ってボールを遠くに飛ばしたいっていう気持ちはよくわかる。だけどな、芯の幅を見てみろよ。たったこれだけの細い幅だぞ。お前の今の技術で芯に当てるのはかなり難しいことだぞ。実際に何本も折っているじゃないか」って。

    ――そうしたら、どんな反応が?

    八重樫 あまり納得していなかったんじゃないかな。「こっちのバットを使ってみろよ」って少し太めのバットを渡したら、一度だけそのバットを使っていたけど、そのあとは元の細いバットを使っていたね(笑)。

    【遠慮なく言える指導者が周りにいなかった】

    ――それでも、1988(昭和63)年のルーキーイヤーではオープン戦で3割を打ったし、4月には巨人のビル・ガリクソンからプロ初安打をホームランで飾りました。上々のスタートダッシュだったと記憶していますが?

    八重樫 ガリクソンからのホームランはたまたまだよ(キッパリ)。甘いボールを思い切り振ったら、バットに当たっただけ。でも、バックスクリーンまで飛ばすんだから、パワーと飛距離は本当にすごかったよね。指導者の言うことを聞かずに、ずっと自己流を貫いていたから、せっかくの才能も生*ことができなかった。結局、1年目がいちばん試合に出ているんじゃないの?

    ――そうですね。1年目が88試合でキャリアハイ。ヒット数は1988年が38安打、1989年が39安打で自己最多。以降は少しずつ減っています。

    八重樫 当時の関根(潤三)監督がお父さんの長嶋茂雄さんと仲が良かったから、「何とか大成させよう」と大切に育てたけど、結果的にうまくいかなかったよね。のびのび自由にやらせるんじゃなくて、周りにもっと厳しく遠慮なく言える指導者がいたら、結果もまた違ったんじゃないかな?

    ――1989年限りで関根監督が退任。一茂さんのプロ3年目となる1990年からは野村克也監督が就任します。両者の関係性はどうだったんでしょうか?

    八重樫 あんまりよくなったと思うよ(笑)。野村さんの中にも、「一茂を一人前にしたい」という思いはあったと思います。でも、一茂は自由奔放なところがあるから、野村さんとは性格的にも合わなかった部分もあったんじゃないかと。テスト生あがりの野村さんと、小さい頃から何不自由なく育てられて、ドラフト1位で華々しく入団してきた一茂。すべてが正反対でしたからね。何しろ、ユマキャンプでも「野村ミーティング」を全然聞いていなかったから、野村さんもよく思っていなかったんじゃないかなぁ。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/dff3b9d6857cac0d53724b8d307d879aa269ff44
    2/18(木) 11:05配信


    【【検証】「清原和博クラスの選手になれた」八重樫幸雄が惜しむ長嶋一茂の才能】の続きを読む


    ともなった。NPB時代に20世紀最後の沢村栄治賞を受賞。投手で20世紀にプレー経験がある最後の大卒ドラフト出身選手。2018年に日米通算100100セーブ100ホールドを達成した。2019年5月20日、引退を表明した。 実兄は北川ヒューテック代表取締役社長の北川隆明。
    128キロバイト (17,529 語) - 2020年4月5日 (日) 10:53



    (出典 prtimes.jp)


    上原は100ホールドもあるからすごいぞ!!

    て、巨人の最多Sってクルーンで
    100sは誰もいなかったのか。。。

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/04/13(月) 14:33:23 ID:f8oQO78a9.net

    先発から抑え、抑えから先発に配置転換するケースはあるが、その両方で活躍するとなるとそう簡単ではない。
    では、過去にどのような選手が、先発、抑えの両方で活躍し、通算100勝100セーブ以上の成績を残しているのだろうか?

    先発と抑えで好投した江夏

    先発、抑えの両方で活躍した選手の筆頭が、阪神、南海、広島、日本ハム、西武とチームを変えながらも活躍し続けた江夏豊だ。
    阪神在籍時に先発として159勝を挙げた江夏は、持病の影響で成績が下降したことにより、1976年南海にトレードで放出されることになる。
    南海でも最初は先発で起用されたが、長いイニングが投げられなかったために野村克也監督(当時)がリリーフに転向するよう指示。
    配置転換が功を奏し、77年に19セーブで最多救援投手を受賞した。

    以降も広島、日本ハムとチームが変わってもリリーフとして好投を続け、1979年から1982年にかけては4年連続でリーグ最多セーブを記録。
    NPBでは1984年までプレーして通算206勝193セーブの大記録を残した。当然ながら、この成績を超える選手はいまだに出ていない。

    広島に流れる100勝100セーブの血脈

    江夏に次ぐ成績を残しているのが広島で活躍した大野豊だ。
    1977年にドラフト外で広島に入団した大野だったが、1年目は1試合に投げ1/3回を自責点5で防御率は135.00に終わる。
    しかし、1978年に南海から加入した江夏の指導を受けたことで中継ぎの柱に成長。
    1984年に先発に転向すると、広島先発陣の一角として活躍。1988年には昭和最後の沢村賞も受賞した。

    1990年代に入ると再びリリーフを任されるようになり、1991年、1992年とともに26セーブを挙げて最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
    その後、1998年に通算148勝138セーブの記録を残して引退。
    広島投手陣を長きにわたり支え続けたまさにレジェンドだ。

    同じ広島では、佐々岡真司も先発と抑えの両方で好成績を残した選手だ。
    プロ1年目から先発、中継ぎ、抑えと複数の役割を任さた佐々岡は、この年13勝17セーブと新人離れした成績を残すと、翌年は先発に固定されてリーグ最多の17勝と活躍した。

    その後、1996年からは抑え、1998年からは再び先発と、役割を変えながらチームに貢献し続けた佐々岡は、引退する2007年までに138勝106セーブを記録。
    広島でのプレー経験者では、江夏、大野に続く100勝100セーブ達成となった。

    日米通算では斎藤、上原が先発と抑えで好投

    1977年から17年間、大洋一筋でプレーした「ヒゲの斉藤」こと、斉藤明夫も通算128勝133セーブを記録している。
    ほかには、阪神でプレーした山本和行が通算116勝130セーブ、中日で活躍した郭源治が通算106勝116セーブを記録している選手だ。

    上記はNPBのみの通算記録だが、日米通算で見ると、NPBでは横浜や楽天、MLBではドジャースなどでプレーした斎藤隆が通算112勝139セーブ。
    巨人でプレーした後にMLBに渡り、レッドソックスなどで活躍した上原浩治も、通算134勝128セーブの成績を残している。

    現役で100勝100セーブ達成しそうなのは?
    100勝も100セーブも簡単にできる記録ではないため、両方を達成した選手はNPBだけで見ると過去6人、日米通算でも8人しかいない。
    一方、現役選手に目を向けてみると、今シーズンから先発に転向することになっている楽天の松井裕樹は、100勝100セーブを達成する可能性がある選手といえる。

    今年でプロ7年目を迎えた松井は、2年目から抑えに定着し、これまでの通算成績は18勝139セーブ。
    まだ24歳と若いため、配置転換が成功して先発に固定された場合は100勝する可能性は十分にある。
    果たして松井は9人目の100勝100セーブ達成者になれるのか、今シーズン先発でどのような投球を見せてくれるのか、今から楽しみだ。

    100勝100セーブ以上の通算成績を誇る、先発と抑えの両方で活躍した選手を紹介した。
    100勝100セーブ以上を記録した8選手のうち、広島でのプレー経験者が3人もいることは知らなかったという人も多いのではないだろうか。
    今後、広島から大野や佐々岡のような「先発、抑えの両方で活躍した選手」が出てくるのか、その点にも注目したい。

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200413-00000004-baseballo-base&p=2
    4/13(月) 11:01配信


    (出典 www.nikkansports.com)


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    300 風吹けば名無し :2020/03/03(火) 01:50:56 ID:E8LLGpDQM.net

    >>119
    >>256
    なんか噛み合ってなくて草


    【【検証】歴代最も闇が深い入団経緯の野球選手ランキング ③】の続きを読む

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