未経験なのに…突然の二塁起用に「はい」としか言えず(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース 未経験なのに…突然の二塁起用に「はい」としか言えず(日刊ゲンダイDIGITAL) Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
ヤクルトは中嶋の指名を予定していたが、阪急が3位で中嶋を指名したため直後に4位で飯田を指名し、ヤクルトへの入団が決まった。身体能力の高さと器用な点を評価していたという。契約金は2,800万円、年俸は320万円(金額はいずれも推定)だった。 入団当初は八重樫幸雄が正捕手だったため、飯田 33キロバイト (4,520 語) - 2020年4月14日 (火) 21:01 |
飯田哲也【すべては野村ヤクルトが教えてくれた】#1
今でも本当のことなのか、信じられない思いでいます。
今年2月11日、恩師の野村克也さん(享年84)が永眠されました。突然の訃報に「まさか」と、頭の中が真っ白になったのを覚えています。だって、僕はその2週間前にヤクルトのOB会でご本人と会ったばかり。腰が悪く車イスにこそ乗っておられましたが、まだまだ元気そうでした。「頑張ってるか」と声をかけてくれて、僕も「元気でいてくださいね」と話してから、そう時間は経っていませんでしたから。
翌12日、先輩の荒井幸雄さんと一緒に野村監督の自宅に行き、最後のお別れをしました。ヤクルトのユニホーム姿でリビングに横たわり、両目を閉じる監督の姿。手を合わせて焼香をしても、亡くなられたという事実を自分に納得させるのは難しかった。安らかに眠るお顔を見た時、「いまにも僕を怒ってきそうだ」と思ったのは、現役時代の思い出があるからでしょうね。僕は野村監督に怒られたり、注意されてばかり。それでも試合で使ってくれたことへの感謝しかありません。だから、亡くなられた今も、まだ信じられないでいる自分がいます。本当に寂しいという言葉しかありません。
野村監督がヤクルトの指揮を執るようになったのは、僕がプロ入り4年目の1990年から。この年に僕はいきなり捕手から二塁手にコンバートされました。これは野村監督も著書で書いていますが、春季キャンプで僕のキャッチャーミットを取り上げたという話があります。本の中には、ミットをいくらで下取りに出したとか書かれていますが……。もはや伝説のように語られている話ですけど、実はこれ、本当のことではありません。キャンプ中は捕手としてのメニューをこなしていましたし、下取りと言われてもお金ももらってませんから。
おそらく、監督なりのジョークでしょう。話を大げさにすることも、たまにありましたからね。
ただ、キャンプ中に僕の走力を評価してくれたのか、「なんでおまえキャッチャーやってんだ」と言われたことはあります。「キャッチャーやってたら、足遅くなるぞ」とも言われました。
■「何で飯田を?」
90年、僕は代走兼第3捕手というような形で、開幕一軍。代走としての出番が多かったですね。二塁を守るきっかけになったのは、4月21日の広島戦です。二塁のレギュラー、笘篠賢治さんがバッティングで調子を崩していたので、僕が代打で出場。ホームランを打ちました。
すると、野村監督はイニング交代の時、「そのままセカンドに入れ」です。アマチュア時代に三塁や遊撃の経験はありますが、二塁はやったことがない。それでも「僕でいいんですか?」なんて聞けません。野村監督には威厳というか、何か迫力のあるオーラのようなものがあり、「はい」と返事をするしかない。その日のことはあまり記憶にありませんが、二塁手として打球を処理し、アウトにしたような覚えはあります。
その翌日から、シーズン最後までずっと二塁手。コンバートというよりも、何でかわからないけどやらされた、という感じですね。それでも見よう見まね、先輩に聞く、他球団の二塁手の動きを真似する……など工夫して何とか乗り切った。捕手をやっていたので、多少は内野の動きがわかっていたのもあると思います。
ただ、最後まで野村監督の意図を聞けずじまいだったのが、後悔と言えば後悔です。当時は二塁の控えの選手もベンチにいましたから。僕も含めて、監督以外は「なんで飯田を?」と不思議に思ったはず。翌91年には中堅に再コンバートされますが、最初の二塁がなければ、僕の野球人生はどうなっていたのか……。
「なんであの時、僕にそのまま二塁を守らせたんですか?」
ずっと聞きたくて、それでも聞けずじまいになってしまった言葉です。
4/14(火) 9:26 Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200414-00000008-nkgendai-base
http://npb.jp/bis/players/15213868.html
成績
(出典 i.imgur.com)
>>1
わからないなら言わないで欲しかった
凄いモヤモヤする
>>1
自分で全部答え言ってんじゃん
笘篠賢治への刺客だよ
栗山英樹の刺客になった柳田浩一は栗山が引退したら
さっさとポイ捨てされたけどな
>>1
飯田って外野手だと思ったら捕手どころか内野までやるのかマルチプレイヤーだな
ナイトスクープは泣いた
長い
飯田産業
何で二塁起用って単純にチーム事情だろ
笘篠に不満があった、それだけ
>>3
苫篠以外にも控えがいたって書いてあるだろ
>>41
だからなんだよ
笘篠に不満、控えにも不満、それだけだろ
>>3
それでもいきなり二塁レギュラーは無い。
未知数でやらすポジションじゃない
>>3
未経験のポジションなんて普通はやらせん
>>3
未経験で2塁と遊撃だけは絶対無いよ普通は、要のポジションで打球毎の動きとかやる事も多い
>>3
あったまわりーな
川崎憲次郎の付き合っていた彼女がマンションで
それよりなんで苫篠は野村監督に嫌われてたのか
>>5
チームバッティングをせず大振りばっかりしてたからな
ノムさんが再三自分のセールスポイントを活かせと忠告したのにも関わらず
>>14
なるほど
>>14
同い年で同じ東都のノムケンに対抗意識があったのかと。
>>45
そうなのか
月とスッポンくらい実力に差があるのに
>>14
関根の指導を引きずったか
>>5
江本孟紀「野村克也は大卒を憎悪してる」
>>81
江本法政大学卒だけど、野村に可愛がられただろ。
栗山も嫌われていたね
全然打たないのに柳田を使ってた
>>7
笘篠、栗山、秦はハズされたよね。
代わりに使ったのが
飯田、柳田、古田。
柳田以外は超戦力になったから
ノムの見る眼も凄かったのか。
>>13
秦は古田が出てきて外野コンバートされてたね
>>13
秦はハズされてはいない。
>>13
秦は捕手としてダメとされただけで、ライトでスタメン
>>34
相手の先発投手が左の時には橋上とかが起用されてたから
”ハズされた”ってイメージを持ったのかもしれない。
>>36
荒井、飯田、秦という布陣が主だった印象だなあ。
後にレフトは外人用になって外野手あぶれ気味だった。
>>55
荒井も相手先発が左の時は起用されにくかった。
左先発が判りきってた時はレフト土橋、ライト橋上。
>>13
秦はレフトの準レギュラー
桜井あたりが冷飯
>>13
斎藤雅樹は秦しか打てなかった印象があるから
そこまで外されてないような気がする
足と肩あるからでしょ
ショート出来るならセカンドもそんなに苦労せんだろうし
>>21
打球処理はそんなに苦労しないと思うが
一塁との連携とか練習なしにいきなりやれって言われてできないよ
>>27
ノムさんもアホじゃないから行けると思ってゴー出したんでしょ
見て無理なら下げてただろうし
飯田(拓大紅稜)
土橋(印旛)
もう二度と甲子園に出ることない千葉の名門だな
>>29
拓大紅陵は飯田哲也がコーチになった
色んな起用方で黄金期作ったんだろうなぁ
ひとつ一つポジション埋めていって
ショートが最後宮本まで固定できなかった
>>30
ショートはずっと池山だったじゃん。
>>30
ショートは池山やろ(笑)
てか御遺体に南海じゃなくてヤクルトのユニ着せてんだな
生前にもう遺恨はないみたいな事言ってたけど、やっぱ引きずってんのかな
>>46
「一番幸せだった時代」といってた本人の希望だ、つうの
古田という超キャッチャーがいたから秦と飯田を攻撃面で評価した場合にコンバートしかなかったのだろう。
ま、何故セカンドだったのかは解らんが。
>>48
優勝した92、93年ですらセカンドは
ジョニー・レイ→パリデス→ハドラーと安定していなかった。
>>48
キャンプから試してなら有りだけどシーズン中に未経験者を2塁に突然コンバートは博打すぎて普通は無いけど
飯田の件は、週べの「本物の野球はどこへいった!」というコラムでノムさん書いてたような。
この記事にもあるように、飯田が捕手で内野の動きは知ってるだろうから、
急場しのぎでセカンドを守らせた。やらせたら無難にこなした、のでそのまま。
さらに身体能力を活かそうと外野守らせたら、ピタリとはまったとか何とか。
>>49
素晴らしい記憶力に感謝
それでこなせるのがすげーよな
普通いきなりセカンドやれって言われても動けないわ
>>52
2塁ランナーに牽制来た時にショートとかち合うかお見合いする自信がある、サイン出してた側だからサインあったら理解してただろうが
>>75
細かいこと言うと正しくは「2塁」ではなく「二塁」と書く
>>90
すまん
>>90
どんだけ細かいんだよ そりゃ野球人口減っていくな
大沢啓二も南海時代に、内野手の怪我によりそれまでプロ入り前もまあ全く未経験の内野をやらされたことがあるとか。
そのレギュラー内野手の復帰まで、なんとかノーエラーでこなしたと。
笘篠も、ホームが広い西武かオリ(1991年=笘篠3年目から神戸)
それか阪神(1992年ラッキーゾーン撤去)に行ってたら潔く一発捨てて
また人生変わってたかも。
センスがあるなら遊撃できたら二塁もできるんじゃね
なかったら遊撃半レギュラーみたいなのでもミスしまくるけど
東京ドームでのホームランボールでのジャンプが凄かったのが印象的。
筋肉番付と大東めぐみの印象が強すぎる
キャッチャー、センター、セーカンド
どこでも守れる
足なら誰にも負けない
韋駄天飯田~!
当時のヤクルトの選手は派手でアイドルや女子アナと付き合っていたけど、
飯田は不動のレギュラーなのに人気も見た目も微妙なバラドルがお相手
その人、飯田の後に近鉄の古久保?とかいう控え捕手と結婚したんだっけ
センターラインをどこでも守れるとか、センスの塊だわなぁ。
練習嫌いでムラっ気があるとも言われていたけど。
飯田といえばプロ野球名鑑で
好きな女性のタイプに「可愛かずみ」
って答えてたのが忘れられない
>>98
NTR?
秦は本当に綺麗な教科書通りのレベルスイングだったな
ノムもそんなようなことを言って褒めていた
だから斎藤雅樹の横に動く球に軌道が合ったのか
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