平安藤原をかた朗記 CLM

マリーンズ高卒ドラ1カルテット マリーンズの平安藤原こと平沢大河選手 安田尚憲選手 藤原恭太選手 そして佐々木朗希選手の情報をまとめながら応援するブログです。マリーンズの情報もまとめております。

    カテゴリ:他球団情報 > 巨人



    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/05/28(Thu) 08:08:51 ID:QzUNW+V+9.net

    新型コロナウイルスの感染拡大で、延期になっていたプロ野球の開幕が6月19日に決まった。セ・リーグは連覇を目指す巨人、昨年2位に躍進したDeNA、オープン戦でセ・リーグ1位の阪神、昨年の雪辱を期す広島、高津臣吾新監督を迎えたヤクルト、7年連続Bクラスからの脱出を図る中日が凌ぎを削る。野球担当記者が話す。

    「120試合制で時間制限も検討され、過密日程も予想される今年は、先発の役割が例年以上に重要になるでしょう。昨年は原辰徳監督が上手くやり繰りし、巨人が5年ぶりの優勝をしましたが、戦力的に圧倒しているわけではない。どの球団にもチャンスがあると思います」(以下同)

    巨人は今年のオープン戦16試合でわずか2勝、最下位に終わっている。昨年、2ケタ勝利は15勝の山口俊、11勝の菅野智之の2人だった。勝ち頭の山口が抜けた今季、菅野を刺激するような若手が台頭してくることが、連覇の鍵となるだろう。

    V9時代には堀内恒夫と高橋一三、1980年代には江川卓と西本聖という2枚看板がチームを引っ張っていた。1990年代になると斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄という“三本柱”が君臨。そのため、チームは安定した成績を残してきた。

    1987年限りで江川が引退し、翌年オフに西本が中日にトレードされ、元号が平成に変わった1989年、斎藤が前年の6勝から20勝と飛躍し、桑田が17勝、槙原が12勝を挙げる。巨人は日本一に輝き、3人は三本柱と呼ばれるようになる。同年からの10年間で、3人は計351勝。このあいだ、巨人は優勝を4回した。

    「実は、3人が揃って1年間、活躍したシーズンはほとんどありません。3人とも2ケタ勝利を挙げたのは1989年、1992年、1994年の3度だけです。このうち、2度は優勝しています。

    ただし、1989年はオールスター直後に槙原がケガで離脱。1992年は桑田がチームの10連勝や7連勝を止めてしまい、連勝ストッパーと呼ばれるほど絶不調に。槙原も優勝争いの9月、10月で1勝もできず、チームは2位に終わりました。1994年は3人ともシーズンを通して働き、中日との最終戦、同率首位決戦で槙原・斎藤・桑田のリレーで勝った。この年、“三本柱”の印象が強くなったのだと思います」

    優勝した1990年は槙原がケガで戦列を離れており、4位に沈んだ1991年は前年まで2年連続20勝の斎藤が9勝に終わった。1993年はリーグ最下位のチーム打率2割3分8厘という打線の不振もあり、斎藤と桑田が1ケタ勝利に。1995年5月には桑田がヒジを痛め、翌シーズンまで棒に振った。

    「広島との11.5ゲーム差をひっくり返した1996年は、桑田だけでなく槙原も夏場に離脱しています。この年は斎藤とガルベスが16勝で最多勝を分け合い、“メークドラマ”を達成した。1997年の開幕戦で、斎藤がヤクルトの小早川毅彦に3連発を打たれ、このシーズンから全盛期ほどの活躍はできなくなります。翌年は斎藤10勝、桑田16勝でしたが、槙原はシーズン途中から抑えに回った。3人が先発ローテーションに入っていたのは、この年の中盤までです」

    3人同時に活躍したシーズンが少なかったとはいえ、1989年から1998年までの11年間で見ると、2ケタ勝利は斎藤が8回、桑田が7回、槙原が6回。3人同時の2ケタ勝利は前述のように3回、2人同時は5回、1人だけは2回。少なくとも三本柱のうち、1人はエースの役割を果たしていたのだ。この10年で、巨人のBクラスは2回のみ。甲乙つけがたい“エース級”が3人いたことで、大崩れしなかった。

    「3人のうち1人ダメでも、2人残っているという安心感が、首脳陣にも本人たちにもファンにもあったのではないでしょうか。その象徴が1994年の10・8決戦。先発の槙原は打たれたが、斎藤と桑田が好投して勝った。日本シリーズでは、槙原が2勝してMVPになって雪辱を晴らした。1人のエースが10年間、ケガなく絶好調を続けられることは、まずない。3人の誰がエースかという議論もありますが、この数字を見ると、お互いがお互いを助け合っており、まさに“三本柱”という表現がピッタリ当てはまるのではないでしょうか」

    これまでの実績を踏まえると、今年の巨人で2ケタ勝利を計算できるのは菅野しかいない。もし菅野が崩れると、ガタガタと大型連敗の可能性すらある。1990年代のように三本柱を形成するのは難しくとも、2年目の高橋優貴や戸郷翔征のような若手の台頭に期待したい。

    https://news.livedoor.com/article/detail/18323824/
    2020年5月27日 16時5分 NEWSポストセブン


    【巨人に斎藤、槙原、桑田の“三本柱”が揃っていた時代】の続きを読む


    怪物くん』の主人公に似ていることから「怪物くん」「怪物江川」と呼ばれ、日本中の注目を集めた。今なお破られていない記録の多くが、他の追随を許さない次元の異なるレベルにあることから、日本高校球界史上最高の投手との呼び声も高い。 なお、江川
    109キロバイト (17,396 語) - 2020年5月23日 (土) 07:36



    (出典 amd.c.yimg.jp)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/05/23(土) 22:06:57.46

    天才打者が元祖「怪物」について語る「江川さんがピッチャーでNO1だと思ってます」

    読売巨人軍史上屈指の好打者と言えば、通算1696安打をマークした篠塚和典氏(1992年途中までの登録名は篠塚利夫)。
    1975年のドラフト1位で銚子商から入団し、圧倒的な打撃技術の高さ、そして、華麗な守備で現役時代に多くの名シーンを生み出した。

    Full-Countでは、天才打者が現役時代を振り返る連載「篠塚和典、あの時」を掲載中。今回は、篠塚氏が語る「江川卓の記憶」前編。剛速球と縦に大きく割れるカーブを武器に活躍した江川氏は、
    わずか9年間という現役生活で通算135勝をマーク。高校時代から数々の伝説を作った元祖「怪物」について、篠塚氏は「ピッチャーでNO1だと思っている」と話す。

    巨人ではチームメートとして江川氏と共闘した篠塚氏。だが、高校時代には2歳年上の「怪物」と対戦したことがある。その時の印象はあまりにも鮮烈だったという。

    「対戦したのは高校の時。一番速い時期だったのではないかと。本人も言ってました。高校の時が一番速かったと。私は江川さんがピッチャーでNO1だと思ってますからね。
    2試合しか対戦してないけど、こんなに速いピッチャーいるんだって思いましたよ」

    プロに入ってからは、多くの名投手と対戦を重ねた。もちろん、高校生だったときに対戦した投手と、その後にプロで対戦した投手とを単純比較することはできない。
    ただ、バックで守っていても、江川氏の凄さに変わりはなかったという。

    「プロになれば、自分が速い球でもそういうふうには見えなくなってきているから、高校の時に江川さんを見た感覚とはちょっと違います。
    でも、やっぱりいざという時の速さ、ランナーがスコアリングポジションに行ったときは凄かったですね。ランナーがいないときは大体7、8分(の力)で投げている感じ。
    体の使い方を見ていると、それほど大きく使わずドローン、ドローンと投げるんだけど、セットに入って足を上げてからの速さは全然違いました。
    ランナーがセカンドとかサードにいると、ギアが上がる。それはすごく感じました」

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200523-00779139-fullcount-base&p=1
    5/23(土) 7:10配信


    【【昭和の怪物江川】篠塚和典「山倉さんは“ノーサイン”と言っていた」】の続きを読む


    仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、茨城県古河市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球解説者、野球指導者。 常総学院高等学校では1年生からレギュラーを務め、エースの島田直也と共に活躍した。全国高等学校野球選手権大会でPL学園に敗退。準優勝を1回含め3年連続で出場。高校通算28本塁打。
    32キロバイト (3,700 語) - 2020年5月1日 (金) 08:54



    (出典 www.ys-athlete-support.com)



    1 朝一から閉店までφ ★ :2020/05/15(金) 06:00:30.64

    [ 2020年5月15日 05:31 ]

     巨人、横浜(現DeNA)などでプレーし、現在は侍ジャパンU12の監督も務める仁志敏久氏(48)が、今年度から江戸川大の客員教授に就任し、14日にオンラインで初授業に臨んだ。担当科目は「スポーツ指導者論1」。筑波大大学院で学んだ理論に自身の経験談も交えて100分間、2~4年生の合計約130人を相手に、研究室のパソコン越しに語り掛けた。

     18年12月に同大の特別講師として行った講義が、就任のきっかけになったという。「指導者の勉強を(10年6月に)引退してから、10年近くしてきたつもり」。通算1591安打、二塁手としてゴールデングラブ賞を4回受賞した名手は、教授としても一切、妥協はなかった。

     「つまらない授業にしてしまうのは指導者の責任だと思っている」と、今回のために1週間かけ自作のパワーポイントの資料50~60枚を準備。11年にテレビ番組の企画で取材したドミニカ共和国での写真、16年9月に自費で訪れたダイヤモンドバックス秋季キャンプのコーチ研修時の写真も、教材に使用した。

     上々の「デビュー」を果たした仁志氏は「教える、というより、こっちの方が学んでいます」と笑顔。当面はオンラインでの授業となるが、今後は対話も重視していく。野球に特化するつもりもない。「学生のみんながスポーツに関わっているわけではない。コーチング(理論)は社会に出ても一般的に使える。上司になって部下や後輩を持った時の自分に当てはめてもらえたら」と訴えた。(大林 幹雄)

         ===== 後略 =====
    全文は下記URLで


    https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/05/15/kiji/20200515s00001173021000c.html


    【【 元巨人8】仁志敏久氏、江戸川大客員教授に就任 オンラインで初授業「こっちの方が学んでいます」】の続きを読む


    com/article/detail/12973812/ ^ 巨人坂本「思い切って」2戦またぎ3打数連続本塁打日刊スポーツ 2016年11月2日閲覧。 ^ 【巨人】代打・坂本、値千金の逆転3ラン「内海さんに勝ちをつけたかった」スポーツ報知 2016年11月2日閲覧。 ^ 【巨人坂本、菅野ら4選手の個人タイトル獲得記念グッズ、5日から発売スポーツ報知
    74キロバイト (8,936 語) - 2020年5月11日 (月) 02:32



    (出典 www.sankei.com)



    1 名無し募集中。。。 :2020/05/10(日) 12:51:12 ID:0.net

    イチロー並の魅力持ってるのに何でだろ


    (出典 巨人の坂本勇人ってイケメンでスタイル良くて高給で野球センス抜群なのにパッとしないよな)


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    html 2020年2月17日閲覧。  ^ “巨人1位堀田がトミー・ジョン手術 来季復帰目指す - プロ野球 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2020年4月2日閲覧。 ^ “巨人、外れ外れ1位で青森山田・堀田投手を指名 最速151キロ右腕”. スポーツニッポン
    4キロバイト (364 語) - 2020年5月4日 (月) 00:30



    (出典 www.chunichi.co.jp)



    1 代打名無し@実況は野球ch板で :2020/04/03(金) 13:30:32 ID:HRBCmc2/.net

    巨人ドラ1・堀田 右肘手術で今季絶望 自主トレ中に炎症訴えトミー・ジョン手術

    巨人のドラフト1位・堀田賢慎投手(18=青森山田)が右肘のじん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けたことが2日、分かった。手術はこの日、無事に終了。今季中の復帰は絶望的で、来季中の実戦復帰を目指していく。


    【【悲報】巨人ドラ1堀田トミージョン手術へ【スカウト。。。】】の続きを読む

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